中島眞人生が変わった、笑いヨガとの出会い

私が笑いヨガに出会ったのは、2011年1月で、ヨガのインストラクターの妻の誘いで就いて行きました。何をするのかさっぱりわからないまま会場へ入りました。 笑っていると頭がすっきりして回転も良くなる。当時は1級建築士の受験勉強を毎日6時間以上していました。夜は早く寝て、朝早くから勉強していました。脳は疲れきっていたので笑いヨガはオアシスでした。
試験日の1か月ほど前の土曜日に下請け会社の親睦会があり、自宅から自転車で駅まで行き、電車で隣町へ向かいました。帰りは最終電車に乗り、また駅から自転車で、警察の前も通り自宅から50m手前の深さ2m程度の水路にダイビングしてしまった。
頭から落ちて目から火花が出ました。そのあと背中に自転車が降ってきました。ダブルの痛みに動けなかった。

水路には少し水が溜まっていてお尻が濡れている。しばらくすると、三途の河のような風景が見えてきた。私は河端で笑っていた。後ろを見ると何人かの人が船に乗っている。船頭が近づいてきて「早く乗らないと連れて行かない」笑い続けていた。ここで気を失ったら死んでしまうと感じた。

その場で痛くて動けないけれど10分程度笑っていた。痛みが少し軽くなった気がした。まず、水路から這い上がり自転車を引っ張り上げた。自宅まで自転車を押して歩いた。玄関の明かりがついていました。目や鼻から大量の血が流れていました。

私が帰ってのに妻が気づいて玄関の戸を開けてくれた。妻の第一声は「なにやってるの!」でした。一見冷たいと思うが慌てない妻はすごいと思った。目の上からも血が流れている。ゾンビのような顔がおもしろいと記念に写真を撮っていた。それも何枚も。鼻からも出血、腕からも。妻は「汚いからシャワーしなさい」

自分でシャワーして着替えて、自宅から300mくらいのところに県立病院がある。電話を妻がしたけれど先生がいないので明日、市役所近くの休日診療所へ行った方がいいとのことでした。救急車も呼ばず二階の部屋までなんとか行って寝ました。頭と全身が痛くて眠れなかった。朝になりシーツや枕は血で真っ赤になっていた。妻が「休日診療所に行ってみますか?」相変わらず慌てない。

車で休日診療所へ。状況を聞いた職員は頭を打っているから、専門の病院へ行きなさいと言われて、

脳外科専門の病院へ行った。その途中の車の中が振動で本当に頭が痛かった。病院に到着すると、

早速CTをとりました。結果は頭蓋骨骨折、首の骨の骨折、両腕捻挫、手の指の脱臼、脳の髄液が流れ出ていると。目の上が裂けて出血、腕の内出血で血の袋ができていた。改めて自分でも生きているのが不思議でした。

入院の手続きしなければいけないのだが、妻は友達が遊びに来るので駅まで迎えに行くとあわてて病院を飛び出した。入院予定は約1カ月らしい。昼間は点滴やら痛み止めの注射で痛みが和らいだが、夜はやはり全身が痛くて眠れない。暑いし、同室の他の患者さんのかえるのような大きないびきでなおさら眠れない。手を口に当てて声を出さないで笑っていた。笑うと、不思議と痛みを感じなくなる。寝付くまで笑っていた。いつの間にか眠ることができた。

1級建築士の試験までには退院したい。少し余裕もほしい。会社でも書類の作成の仕事が止まったまま。

食欲は元に戻り足りないくらい。真面目に1カ月入院していたら、試験も受けられない。なんとか早めに退院できないか担当の先生に聞いたら、自由にしていいよと返事をもらい、すぐに退院の手続きをした。退院して3日ほど家で休んでいた。夏、本番でエアコンのない私の部屋は38℃の室温。扇風機の風はまさに熱波でした。試験勉強と会社の業務なんとかできた。首には骨を固定する一番暑苦しいコルセット。試験当日もコルセットして会場へ行くと、試験監督員が「大丈夫ですか?」

痛みと暑さに耐えて試験を受けてきました。この年で5回目、結果はあと一歩で不合格でした。その後妻は私に「1級建築士には縁がないんだねぇ」それから、私は笑いヨガに専念できるようになりました。笑いヨガに出会ったおかげで死から命を守られたと思います。周りの人に笑いヨガのすばらしさを伝えることが、私の使命と感じました。1級建築士は人の命を救えない。ありがとう。

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